ボゴロジツク (Bogoroditsk)
ウパ川の支流ウピョルタ川が流れる. 北にはウズロヴァヤやノヴォモスコフスクの町があり鉄道で結ばれている. モスクワからヴォロネジを経てロストフ・ナ・ドヌへ向かうM4幹線道路も通る.
人口は、2002年国勢調査では30,884人、1989年ソ連国勢調査では33,552人だった.
ボゴロジツクには1663年に、ツァーリ・アレクセイの命により木造の砦(クレムリ)が建てられた. 当時はノガイ・タタール人の諸部族やクリミア・ハン国によるロシア侵入が相次ぎ、当時の南部国境だったトゥーラ州周辺には防衛線と要塞が建てられた. 要塞のある村には聖堂が建てられたが、生神女庇護祭を記念する聖堂にちなんで村はボゴロージツコエと名付けられた.
18世紀にロシアの領土が南へ拡大し、遊牧民の脅威が去ると、ボゴロジツコエの軍事的重要性は失われ、1715年には取り壊された砦の跡に馬の飼育場が建てられた.
さらに1773年には、皇帝エカチェリーナ2世と愛人グリゴリー・オルロフの間に生まれた不義の子である貴族のための宮殿が建てられた.
ボーブリンスキー家の宮殿の本館となるシャトーは高名なロシア人建築家イヴァン・スターロフにより設計されたものである. 1777年にボゴロジツクは市となった. 1778年から1796年にかけてはロシアの農業科学者アンドレイ・チモフェーヴィチ・ボロトフが市の長官となっている.